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中国でも現場主義を貫く稀有な弁護士
ストイックに誠心誠意案件に挑み続ける

2013.11.28

金藤力 弁護士インタビュー

弁護士法人キャスト大阪事務所代表で上海事務所一般代表の金藤力は、中国でも現場主義を貫き、ストライキの現場で中国人弁護士とともに自らも中国語を操り、対応に当たる稀有な弁護士だ。日本では駆け出し時代に、特許訴訟や倒産企業の処理など幅広い日本国内案件を経験、その後京セラに籍を移し、インハウスローヤーとしてさまざまな国内・海外案件に関わった。これまで一貫して大事にしてきたのが、自ら現場に赴き、案件に対峙すること。「キャスト一ストイックな男」は、日中両国の現場に精通する稀有な弁護士として、いま活躍のフィールドを広げつつある。

身体の弱い読書好きの鍵っ子

町工場が集まる東大阪市で育った金藤力は、両親が共働きであったため、幼少の頃から「鍵っ子」だった。ひとりで本を読んだり、ブロックで遊んだりして過ごすことが多かったという。

「父も母も生涯現場で働くことを喜びとしました。現場を大事にするいまの自分と重なります」(金藤)

金藤の保育園時代のエピソードに次のようなものがある。遊ぶ友達がいなくてさみしかったのか、金藤は近所の子どもたちが通う公文式の教室に勝手に上がり込み勉強に参加していた。両親は保育園の先生から「公文式に入れてあげたらどうですか」とその事情を聞かされ、驚いたという。

両親の放任主義の下、金藤は小、中学校時代を伸び伸びと過ごした。友だちとの遊びに励む一方、読書が大好きで、成績は一貫してよかった。中学3年になると、「友だちが通っているから」と塾通いを始め、高校受験では大阪府立高津高校に合格。高校に入学後も「友人が通っているから」と両親に塾通いを嘆願する。これについて金藤は、「自分は周りに影響されやすい性格」と分析する。振り返ると、金藤はこれまで周りに大きく影響されながら人生の選択をしてきた。「周りの知人、友人に恵まれてよかった」と金藤は感謝する。

高校時代は学校が終わると、塾がある日以外はアルバイトをしたり、地元の友人と遊んだりと、やはりゆとりのある生活を送った。

「夏休みをきっかけにチーズケーキを焼くバイトを始めました。ケーキを焼くスピードがだんだん早くなり、またできることも増え、上手になり、先輩から評価されました。働くよろこびをここで知りました」

高校3年になると、進路を考えるようになった。「体力がなく、勉強くらいしかとりえのない自分は医者か弁護士が合っているのではないか」と単純に考え、結局血や病気が苦手だと、弁護士を目指すことに決めた。バイトの経験からお金を稼ぐ大変さを知った金藤は、学費の高い私立大学は検討せず、国立大学で司法試験合格者が多いという理由から京都大学法学部を選び、見事現役合格を果たす。

進学塾の講師のアルバイトに熱中

金藤は入学後、一般教養の授業を積極的に受ける一方、アルバイトに明け暮れた。進学塾の講師のバイトで稼いだお金をもとに、大学2年からは一人暮らしを始める。

「進学塾のバイトでは、ひとにものを教える難しさを痛感しました。単純に知識を発信することは難しくないのですが、生徒のやる気を引き出し、理解してもらうことが難しかったです。そこで、自分なりにいろいろと考え、教え方の上手な講師をマネし、また有名講師と呼ばれる方に教えを乞うこともしました。相手の目線に立って伝えることの重要性などを学ぶことができました。塾講師にやりがいを見出し、一時は大学卒業後も続けてもいいと考えたほどでした」

司法試験の勉強は大学2年から開始し、大学4年で初めて受けた試験には失敗。卒業後に再挑戦し、合格した。

「大学に籍を残して司法試験の勉強をするひともいましたが、わたしは卒業して試験に臨みました。恵まれていたのは、同級生などの友人が数人、わたしより先に合格していて、彼らから勉強のこつを教えてもらったことです」

無鉄砲で怖いもの知らずの駆け出し時代

金藤力 弁護士インタビュー

山口県山口市での司法修習は、金藤にとって忘れられない思い出となった。

「わたしの人生の中でもっとも周りの人たちによくしてもらった時期です。同期は3人だけでしたが、関係がとても良く、兄が3人できたような気持ちでした。豊かな自然に囲まれた環境で周りのみなさんにやさしくしていただき、都会しか知らなかったわたしにとって、とても新鮮な生活となりました」

修習を終えた金藤は2000年、先輩弁護士から紹介を受け、新淀屋橋事務所に入所する。当時、同事務所は特許関係や倒産企業の処理、交通事故の示談や不動産関連の業務など、多種多様な事件を取り扱っていた。

「特許訴訟で現場に侵害品を封印しに行ったり、交通事故の示談のために当事者に会いに行ったり、不法滞在の外国人の帰国費用に充てるためにその方が働いていた店に未払い給与を取り立てに行ったりと、思い出せばきりがないほどたくさんの印象深い案件に関わりました」

危機一髪の経験もした。現状保存のため倒産した会社の代表者に同行して現場に行ったところ、運悪く下請業者に出くわし「うちの売り掛けはどうしてくれるのか」「弁護士を雇うカネがあるなら、われわれに払ってくれ」などと詰め寄られ、何時間もの押し問答の末、夜になりようやく解放された。

「いまもこうした傾向はありますが、当時は若く、無鉄砲で生意気な弁護士でした。よくけがをしなかったなと思います」

先輩弁護士に「君、気をつけなさいよ」とたしなめられることもあったが、独身だった金藤は、先輩が行けない現場に出向くのが自分の使命と考えていた。現場では危険を感じるような状況に遭うこともあったが、金藤は「そういうときこそ現場で当事者と一緒にいるべきだと思っていました」と話す。

語学の重要性を知る経験もした。外国人の依頼主との接見で、金藤は通訳を通じたコミュニケーションに不満を感じた。

「通訳の方は依頼主の発言すべてを通訳してくれる訳ではありません。直接コミュニケーションできず、依頼主との距離を感じました。そこで、通訳を介さず、下手でも直接英語で話してみると、依頼主の考えがとてもよく分かり、ストレスがなくなりました」 当時の思い出に残る案件のひとつに、中国の子会社が倒産したことが原因で民事再生になった企業の案件がある。当時はまだ民事再生法が施行されて間もない頃で(※同法施行は2000年)、金藤は同企業の資金繰り計画を作るなどの細かい作業を事務所の先輩の指導を受けながら自ら手探りで行った。この中で、会社の経営についての書類を分析しながら、海外での出来事が日本の会社に直接影響をすることを知り、日本国外のことも勉強する必要性を感じたという。

京セラに入社、インハウスローヤーの先駆けに

金藤は新淀屋橋事務所に3年間務めた後、京セラ法務部に籍を移す。知的財産関連業務をもっと勉強したかったことと、海外業務を経験したかったことが転職の理由だった。また、前職の訴訟活動の中で、「訴訟になる前にこういう証拠を作っておけばよかったのに」と思う機会が多く、トラブルになる前から弁護士として関与し、予防することに意義を感じていたこともあった。

当時、日本には会社に所属し活躍する弁護士「インハウスローヤー」はまだ少なく、金藤はその先駆けのひとりとなった。

「インハウスローヤーとは言っても、私の仕事は、基本的には一般の企業の法務部員の仕事と同じでした。京セラはいろいろな事業を展開しており、よい経験をさせてもらいました。専門知識を教えてもらいながら、英語で仕事をする経験も積みました」 

中国案件に関わる機会もあり、その頃から少しずつ中国語と中国の法律の勉強を始めた。

「当時、わたしは中国の法律をほとんど知りませんでした。海外業務の中ですでに比較的完成されていた欧米の業務よりも、まだ未整備な部分が多く、しかも経済成長著しく企業にとっては避けることができない中国の業務に興味を持ちました」

金藤が京セラで学んだことは少なくない。「お客様第一主義を貫く」「仕事を好きになる」「一日一日をど真剣に生きる」「小善は大悪に似たり」など、日々の仕事と結びつけながら学んだことは、その後の弁護士人生の基礎になっている。

上海に語学研修し中国弁護士事務所で実習

金藤力 弁護士インタビュー

中国案件を経験する中で、中国への興味はますます募っていった。07年、京セラを退職した金藤は上海にわたり、復旦大学国際文化交流学院で中国語の研修を開始する。「もともと計画性がなく、成り行きでした」と謙遜するが、中国法務を学ぶことで大きな強みになると確信していたのは間違いないだろう。

中国語は大学や京セラ時代に勉強していたため、現地での勉強はスムーズにいくだろうとたかをくくっていた金藤だったが、当初はヒアリングが難しく苦労した。

「最初の1カ月はそれこそ寝る間も惜しんで勉強しました。中国語の会話のCDを寝ながら聞いたほどでした。1カ月を過ぎるとある程度会話ができるようになり、街をめぐって地元の人とできるだけ話をする機会を持つようにしました」

中国語に徐々に自信を持った金藤は、授業がない時にインターン生として中国の弁護士事務所に通うようになった。そこで、中国の弁護士事務所の業務を目の当たりにし、日本の弁護士事務所との違いに大いに驚くとともに、日本の弁護士だからこそ中国で提供できる価値があると感じた。

「中国における案件において、日本の弁護士はクライアント企業の日本での実務や日本本社の考え方を理解して、その真意を汲み取ることを考えます。その点は中国の弁護士も同じなのですが、やはりベースとなる経験も文化も違いますので、意思疎通を深めるのに時間がかかる部分もあります。こうした中、日系企業と中国の弁護士の間に立ち、日本の弁護士が仲介役として活躍する余地は大きいのではないかと感じました。」

語学留学を終え帰国した金藤は、再就職先を探す中で、キャストグループに応募した。

「面接に行くと、村尾弁護士(※キャストグループ代表の村尾龍雄)が熱心に中国業務について説明してくださいました。わたしのような弁護士としては風変りなキャリアの持ち主もよろこんで迎えてくださるとのことで、入社を決めました」

08年、キャストグループに参画した金藤は、まず扱っている案件の難しさに面食らった。案件の金額が大きく、企業に与える影響も大きく、責任の重い案件が圧倒的に多かった。

また、村尾弁護士の実力に感銘を受ける。

「日々、会議などに同席しましたが、弁護士の自分からみても村尾弁護士は圧倒的な知識と経験を持ち、頭脳明晰だと感じました。普通に弁護士をやっていてはこうはなれないと思いました」

金藤は「より一層努力し、一刻も早く慣れなければ」と考えた。

中国のストライキの現場に自ら乗り込む

入社後しばらくは、村尾弁護士や中国人弁護士と中国企業のトップとの交渉に同席するなどし、勉強を続けた金藤だったが、徐々に自身が主担当者を務める案件が増えてきた。

「わたしがこれまで手掛けてきた案件に、現場でのストライキ対応があります。中国では08年に労働契約法が施行され、その後権利意識に目覚めたワーカーによるストライキが多発しています。日本人総経理や管理者の方々が従業員に囲まれ、工場から出られないなどのトラブルが発生しており、わたしはこうした現場に中国人弁護士と駆けつけ、直接中国語で現場対応をしています」

日本人弁護士が中国のストライキの現場に行って直接対応するケースはめずらしく、キャストグループ以外はほぼ前例がないと思われる。外国のストライキの現場に飛び込むのは相当な勇気が求められそうだが、金藤はまったく意に介さない。

「こうした現場は日本も中国も基本的に同じで、日本での経験を生かせます。大先生ではなく、まだ若い自分だからこそできることであり、自分の存在意義を感じます。交渉の合間に従業員の方々と雑談していると、現場にいなければ分からない背景がよく分かります。こうした案件に携わる際に、現場を任せてくれるキャストに入ってよかったとつくづく感じます」。

もっと世の中の役に立つ弁護士に

金藤力 弁護士インタビュー

昨年9月以降、日中関係が悪化し、中国の日系企業の事業整理や縮小、撤退の動きが目立っているが、この分野でも金藤は活躍している。ある日系企業は、中国の合弁会社の出資持分を合弁パートナーの中国企業に譲渡し、撤退しようと、パートナーの合意を得て、手続きをはじめたが、当局からはいっこうに手続完了の報告がない。日系企業から見ると何が起こっているのか分からず、いくつかの要因もあってそのままでは譲渡もできないまま清算手続きをしなければならないという状況に陥った。この時点で同社はキャストグループに相談し、金藤と中国人弁護士が現地に飛んで状況確認、合弁パートナーなどと協議を重ね、何とか持分譲渡による撤退を完遂した。

「この案件は特に難易度が高かったため、解決できた際は『キャストのサービスはほかのどのコンサル会社にも弁護士事務所にも負けない』という自信につながりました。クライアントからは大変よろこばれ、この仕事をしていて本当によかったと思いました」

ハードワーカーの金藤は趣味も特になく、休みは事務所で仕事をするか、家で過ごすことが多い。ストレス解消法もなく、難しい案件にぶつかった際はずっと案件のことを考えているため、精神的に厳しいと感じることもあるという。

「ただ、そうした際は、キャストにいる優秀な専門家の仲間が助けてくれます。案件が難しければ、難しいほど、クライアントや仲間と協力し解決できた時のよろこびは大きいです。その後しばらくはとても気分よく仕事ができます。また、案件のために以前いっしょに現場で苦労した企業の方々からご連絡をいただいて思い出に浸ることもあり、それが何よりのストレス解消になります」

とにかく現場に立ち続けたい――「キャスト一ストイックな男」と同僚から揶揄されることもある金藤は、中国の現場で個々の案件に誠心誠意取り組み、もっと世の中の役に立つ弁護士になることを目標にしている。日本と中国の現場に精通する稀有な弁護士が活躍するフィールドは、今後もまだまだ広がっていくだろう。

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